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方向性(覚書)

  • 執筆者の写真: 水月 雪兎(Mizuki Yukito)
    水月 雪兎(Mizuki Yukito)
  • 2019年9月16日
  • 読了時間: 2分

毎週末、家人とドライブがてら朝里の温泉に行く(色々話せる結構大切な時間)。

同じ会社で働いているので仕事の話や娘のこと、お互いの趣味のことなど本当に色々な話をする。

話すことで考えをまとめたり、アドバイスを貰ったりして次の構想を練ったり。


北の病展会期終了を前にした昨日、水月雪兎のこれからの作品の方向性について論議。

結論として、私が作りたいのはインスタレーションであり、人形も標本も小道具の一つ、つまりそれらを極める事が到達点ではなくそれらは手段の一つであり、等身大の作り物世界(ジオラマ)を限られたスペースに作り出す事である、ということで納得したのだった(長い間濃い霧の掛かっていた世界にようやく晴れの日が来たような)。


例えば夢でみた景色のように現実にあるものとあり得ないものとの融合・・・ 作り物を真似て作り出す風景、そこなのだと。


…写真は常に私の中では別格として存在しているが、映像という概念においては写真もまたこのインスタレーションの1部として取り込まれるのだ。


随分長い間「アートとは? 球体関節人形はアートか?」 と悩んだけれど、自分が作りたい物をインスタレーションという形で「アート」と呼ぶことにすれば良いだけの話だったのだ(少々乱暴ではあるが)。


長らく自己表現として球体関節人形を単体で考え、最初の頃に作品発表の場で余りにも前衛人形作家達に叩かれ過ぎたのも悪かった(トラウマなので)。


しかし方向性が見えたからにはもう前進あるのみなのだ。


北の病展は色んな意味での実験台でありたたき台であった。

イメージを何処まで実現可能かのデータ取りができたわけだから。


一筋の光が射した。

自信を持って自分に期待を掛けてみよう。




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©2019 by 水月雪兎 人形廃墟

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