エルフの隠れ里
- 水月 雪兎(Mizuki Yukito)

- 2021年7月13日
- 読了時間: 8分
あれは夢か現か?今思い出してもはっきりしない。
少年だった私はハンティングの為に父と共に犬を連れて山に入っていた。兎を狩る為だ。
最初のうち天気も良く私は父が止めるのも聞かずどんどん奥へと入っていった。父と何度も来ているのでこの山は庭のようなものだった。ところがその日はなぜか天気が急変し霧が立ち込めてだしたのだ。そして見知っていたはずの山が今まで見たこともない山へと豹変した。磁石は狂い、父を呼んでも返事はなかった。このまま彷徨うのも危険だと思い霧が晴れるまでその場にとどまることにした。
一時間ほど経った頃人の気配がした。「父さん?」私は咄嗟に言った。しかし白い霧の中から現れたのは黒いドレスに黒いベールで顔を覆った女だった。(こんな格好で山の中にいるなんて一体??)私は息をのんだ。女は顔を上げずに言った。
「こんなひどい霧ではさぞお困りでしょう。私の屋敷で休んで行かれては?」
屋敷?この山に人が住んでいるなんて話は聞いたことがない。しかしここで黙って待つよりはついていったほうが安全だろうし父ならきっとその屋敷を知っていて迎えに来てくれるに違いないと思い女についていくことにした。
数歩先を歩いている女は霧で姿が全く見えないが足元の霧は薄く私は女のドレスの裾を目印についていった。
どれくらい歩いただろう、女が足を止めた。
「おかえりなさいませご主人様」
男の声がし鉄門が重々しく開く音がした。
「さあどうぞ」
女の声がし、私は後に続いた。
真っ白な霧に一筋の光が差し辺りが明るくなると大きな屋敷が姿を現した。
「おかえりなさいませ」
大きな扉が開いて侍女達がエントランスから出てきた。
「お客様をお連れしたの。この霧で大層お困りだったので。すぐにお茶の用意を」
「畏まりました」
女は正面の大きな階段を昇って行った。
「お気の毒に。さぁ、こちらへ」
侍女について深紅の絨毯が敷かれた廊下を歩いていると霧はみるみる晴れて窓の外に美しい庭が現れた。咲き誇る色とりどりの花、噴水と池、青い芝。私がこんな美しい庭園を見たのは後にも先にもこの時だけだった。
「さあこちらです」
侍女がテラスのガラス戸を開けた。
むせかえるような花の芳香。テーブルには見たことのない菓子が沢山並べられていた。
席について庭園を見回した。名のある庭師の仕事かもしれない。
「お客様?」
不意に声がして振り返ると、バラの茂みから少女が二人こちらを伺っていた。私はちょっと恥ずかしくなったが思い切って声を掛けた。
「こっちで一緒にお菓子を食べない?」
少女たちは顔を見合わせにこっと笑うとテーブルの方へ走ってきた。寝巻のようなワンピースに素足。美しい双子だった。
「私バラの実のタルト大好き!」
「私は蛇イチゴのマカロン!!」
お茶を運んできた侍女が双子をたしなめた。
「僕が呼んだのです。『一緒に食べよう』って」
双子は「そうだよ!」というように大きくうなずいた。侍女は困った顔で会釈をし下がった。
「あなた良い人ね!私はクララ」
「私はクラリスよ」
お菓子を食べながら双子は変わるがわる池の畔に来る美しい翅のトンボやバラに集まるハチドリの話をした。双子の話を聞く限りここは楽園のようだった。
「でもね、私たち塀の外へ出たことがないの」
「森はいろんな生き物がいて危険だし道に迷って帰ってこられなくなるかもしれない。悪い人に捕まってどこかへ連れていかれてしまうかもしれない」
僕は双子が気の毒になった。
「話を聞かせてもらったお礼に僕の家に招待するよ」
双子は表情を曇らせた。
「お姉さまがお許しになるはずがないわ」
「絶対に無理よ」
「お姉さまって誰?黒いドレスの人?僕が頼んでも駄目だろうか」
「羽化するまではどこにも行けない・・・」
「羽化って?何が??」
双子は僕の手を引いた。
「私たちの宝物を見せてあげる!あなたすごくいい人だから」
双子と一緒にバラの茂みの横を通り花々の小径を進むと池の対面にあるガルボに着いた。ガルボの横にはエルフの石像があり、双子はその台座の下から小さな箱を取り出しガルボへ持ってきた。クララは箱の裏についた小さなぜんまいを回しクラリスの手のひらに置いた。二人は顔を見合わせて箱を開けた。
小さな七宝焼きのハチドリが飛び出しオルゴールの美しい音色が流れた。曲はトロイメライだった。
オルゴールの音色はガルボの天井に反響し風景を一層色鮮やかなものにした。双子たちは光に包まれていた。
夕方になり僕はふと我に返った。父が私を探している。帰らなければ。
テラスに戻ると黒いドレスの女がいた。
「あまりにも楽し気だったので声を掛けられませんでした。今からでは村へ着くまでに夜になってしまいます。今日は泊まられて明日お発ちにになられてはいかがでしょう?」
僕は父が夜通し探す姿が目に浮かんだ。
「やっぱり戻ります」
黒いドレスの女は目を伏せた。
「そうですか。わかりました。では村へ向かう道までですがお送りすることにいたしましょう」
女は建物の中へ消えた。
不安げな顔の双子が僕の傍に立ち、
「夜の森は危ないわ」
と腕にしがみついた。
「大丈夫だよ。僕の父が来てくれるから」
「ねぇ、もし村へ帰っても私たちのこと忘れないでね?」
双子は僕のシャツのボタンに美しい鳥の羽を刺した。
「お守りよ。私たちからの」
「ありがとう、また遊びにくるよ」
双子は黙ってうつむいた。
「行きましょうか」
黒いドレスの女がランタンを手に促した。
空は夕焼けで金色に輝く雲があった。
高い塀に取り付けられた大きな鉄扉は来た時と同じように門番の大男がゆっくりと開け、私たちが外に出ると閉じられた。
空はみるみる暗くなり、女はランタンに火を灯した。
「先程も申し上げましたが私がお送りできるのは村へ続く道までなのです、申し訳ないのですが」
「その途中にたぶん私の連れがいるはずです。ありがとうございます」
女は首を傾げた。
「連れ?連れの方になんて、会えるかしら」
「え?」
私は何か背中に冷たい物を感じ振り返った。巨大な木々はうねりながら枝を伸ばして私を捕まえようとしていた。
「ここは!自殺者の森!!!」
昔祖父に聞いたことがある。山で自殺をした者は巨木へ姿を変えられて何百年も生きなければならないのだ。それが自殺者の森。
私は女を見た。しかし女の羽織っていたマントはみるみると黒い翼に変わり鳥の脚、鳥の体をしたハルピュイアへと変貌した。
私は悲鳴を上げた。
「久々の獲物を逃すわけにはいかないんだよ。お前はここで食われる運命なのさ」
その時双子がつけてくれた鳥の羽が閃光を発した。ハルピュイアが怯んだ隙に僕は走り出した。しかしすぐに巨木の枝に捕まりハルピュイアは笑みを浮かべて私をわしづかみにした。
「へぇ、双子の仕業かい。随分と気に入られたようだね。私への恩をあだで返すなんて帰ったらお仕置きしないとね。お前を食ってからじっくりとね」
もうだめかもしれない、そう思った時銃声が響いた。
「父さん!!」
「馬鹿な人間だね。そんなもので私が諦めるわけないだろう?」
ハルピュイアは僕をわしづかみにしたまま空へ飛び立とうとしたとき、もう一発銃声が鳴り響いた。
弾はハルピュイアの片翼をかすめたようだ。その時犬が吠えながら走ってきた。
ハルピュイアは舌打ちをしそのまま飛び去って行った。
「大丈夫か!!」
父と犬がいた。
「どうして父さんの言うことが聞けないんだお前は!寄りにもよって自殺者の森に迷い込むなんて!!」
「ハルピュイアに襲われたんだ」
「お前毒気にやられているな?お前を襲っていたのはオオカミだぞ?ひとたまりもない。あと一歩遅かったらお前は食われていた」
オオカミ?そんなわけない。父さんにはオオカミにみえていたのだろうか?
「急いで帰ろう。獣除けに松明を掲げるんだ」
父は私の手を引き山を下って行った。
そのあとの記憶は曖昧である。
・・・いや、全ての記憶は曖昧だ。
私が森の出す臭気にやられたのだとみんなは言った。そしてあの山には人は住んでいたことはないし屋敷なんてあるはずはないということと、自殺者の森は自殺者が多いのは事実だが人が巨木に変えられることは無いということを何度も説明された。
その翌日から原因不明の熱病で生死の境をさまよった。
毒草に触ったのだと医者も両親も言った。しかし祖父母は「この子はフェアリーリングを侵したんだ」と言った。
10日後、熱は嘘のように下がった。
それから何年も経って私は大人になり大きな町で暮らしていた。
祖父が倒れたと電報が来て私は何十年かぶりに村へ帰ってきた。
ベットの中の祖父はとても小さく見えた。他愛もない話のあと、祖父は何となく言いにくそうに話し始めた。
「お前子供のころに山で迷子になったことがあったじゃろ。霧が突然立ち込めて庭園があって双子の女の子がいたと言っていたね?それはエルフの隠れ里なんじゃよ。わしも子供のころに迷い込んだことがある。その時何か貰わなかったかい?」
私は記憶をたどった。迷子になったのは私が10歳の頃の事だ。
「そういえば、お守りと言って綺麗な鳥の羽を貰ったんだったか・・・」
祖父は目を細めて笑った。
「そうかそうか。ということはお前それを失くしたね?」
「多分」
「それを持っている者だけがまたエルフの里へ行けるのさ。お前は残念なことをしたね。あれは本当に美しい庭園じゃった。何人かのエルフと一緒に遊んだ。エルフの時期女王だというお姫様は特に良くしてくれてわしは彼女の事が大好きじゃった。しかし町で暮らすわしのお婆さんが病気で倒れたので町に住むことになった。最後にわしは自分の宝物だったハチドリのギミックのついたオルゴールをプレゼントしたのじゃ」
祖父はしばし空をみていた。
「大人になってわしは村へ戻ってきた。しかし山へは入っていない」
祖父はベットの横の引き出しから小瓶を取り出した。
小瓶の中には見たこともない美しい鳥の羽が一本入っていた。
「おじいさんこれ・・・」
「わしの宝物じゃった。お前にやろう。もうわしは長くない。わしの形見じゃ」
祖父は私に瓶を託して三日後に亡くなった。
夢か現か?思い出してもはっきりしなかった記憶は確かに存在する記憶だったようだ。
祖父から受け継いだこの羽を持って僕は山へ行くべきか否か・・・。あの日を最後に踏み込まなかったあの山へ。




コメント